努力できないならやめたらいい。

なぜ自分がそうしたいと決めた事に人は努力ができないのでしょうか?

今は都合が悪いから?誰かが邪魔をするから?自分は弱い人間だから?

言い訳というものはどんなことに対してもたくさん作る事が出来ます。

それは人間の防衛本能がしっかり働いている証拠でもあるので必ずしも責めるような事ではないです。

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原因と結果

ではなぜ努力ができないのかという本質を突くとするするならば、それはあなたが夢中になれていないからです。それが本当に自分のやりたいことなのか、やるべきことなのか。その行動要因は私欲でも使命感でもなんでもいいです。あなたにとってそれは夢中になれることなのかというこの一点です。

何事にも結果があれば原因もあります。

いわば努力が出来ないという結果があるならば、原因は夢中になれなかったということでしょうか。

これは全然責められるような話ではなく、あなたをあなた自身が守ったと解釈しても良いのです。

仮に、それを続ける事はあなたの未来に対して必ず良い結果をもたらすのでしょうか?これはそう判断できなかった自分の本能なのです。

なんにしろ努力というものは後からわかるものなんです。むしろ人から「きみが努力したからだよ。」なんてことを言われてはじめて自分は努力をしていたのだなと気づかされます。いえ、例えそういわれても努力していた人からすれば全然そんなことないとうまく肯定できないのがその証でもあります。

なぜならただただ夢中になってやっていたから。

そんな人はいちいち、自分はしっかり努力しているのだろうか?なんていう自問自答は起こしません。とある目標に向かって必死こいて夢中になってやっているからです。

でもそれくらいの意識でいいのです。じゃないとすぐに後ろを振り返ってしまい、自分は本当にこれで良かったのだろうか?なんて考えても全く無意味な感情に振り回されるのがおちだからです。

しかしそれが努力していた者の認識なんです。

努力を努力と思っていないのです。

大物歌手の矢沢永吉さんは上京したときにお金がなくて公園のベンチで寝ていたそうです。そのとき彼がベンチに横になりながら思っていたのは「俺の伝説はここから始まる。」だそうです。ただ自分が歌手としてメジャーデビューを果たし、大きなコンサートを行うこと、それに対して夢中になっていただけなんです。その道に対する努力は半端なものではなかったと思いますが、それを判断するのは所詮は第三者である我々であり、矢沢さんが判断することでもないし、矢沢さんが自分は努力したと気づくときにはその道をしっかりと歩んだ後であって自分が作った道を見たときです。

夢中になれれば、努力なんて必要としません。

努力を努力と考えている時点であなたにとってそれは、本当に自分がやりたいことではないのです。

そしてそれはあなたが方向転換するサインになりうるものです。

それは悪い事ではなくてあなたが本来夢中になれるものへ動き出すためのチャンスかもしれません。

なぜそれをしたいのか背景を知る

やりたいと思った結果についても原因があります。そしてそれを知る事は初心を理解する事です。初心とはその道を本気で歩むときの強力なサポートをしてくれ、それは困難にぶつかったときなど自分を立て直してくれます。いくら夢中になれるものが見つかったからとはいえ、超えなければならない壁はたくさんあり、それはどれも簡単にはいきません。夢中になる事すなわち成功するということではないのです。壁は超えられない者を容赦なく打ちのめしていき、たくさんの人を退場させるふるいの役目をします。いくら夢中になれたからといって壁は高く厚いです。そんなときにあなたを助けるのは、誰かではなくあなた自身であり、それが初心です。あなたが夢中になれるものに対してその気持ちのきっかけを作ったもの。あなたを奮い立たせたもの。その初心を思い出す事ができればもう何も怖くないです。目の前の壁も簡単に超える事が出来るはずです。

自分を知り、認める

例え夢中になれると思ったけどそれが続かなかったとしても自分を責める必要はありません。それに固執して離れられないのが一番ダメです。それを諦めるのも自分であり、自分の力なのです。そしてそれを認める事があなたの成長に繋がります。自分はまだやれるとか思いながらズルズル引きずっていては時間の無駄遣いです。それならば、自分の夢中になれるものを探す方がよっぽど効率のいい時間の使い方になるはずです。

人は自分の納得いかないものを認めるという行動をとることがなかなかできません。それは失敗、挫折、自己犠牲、自分にとってマイナスのイメージになりそうなものほどそれを認めたくはないのです。

逆にそれは人を大きく成長させる良い材料にもなりますが、それはいろいろな経験を積まないとわからないことでもあります。

ですが、この認めるという行動がとれなければ有限である人生の時間を大きく失ってしまう可能性があります。

それが理にかなった話、どう考えてもそれが最も正解に近いと判断したとき、固唾を飲み込んで自分の腹に落としましょう。そこから見えてくるものがきっとあるはずです。

過去からモチベーションを探る

何をやってもうまくいかないと感じている方は明らかに自分に対しての自信がないです。成功するイメージを掴めない方がそれに当たるはずです。勘違いしてはいけないないのは成功するイメージというのはどれだけリアルにイメージ出来るということです。

リアルにイメージするというのはその目標に向かってどれだけの行程を踏めばよいかということです。

例えばあなたは役者になりたいとします。これは大きな目標です。ここに到達するためには自分はどうしたらいいのか、どのように歩んでいけばいいのか。地方で小さな劇団員として始める?上京してバイトの傍ら養成所に通う?ツテからの紹介で弟子入りする?方法はたくさんあるはずです。そしてその選択肢から選び、その選んだものをさらに細かく刻みます。師匠のような人を目指す?師匠からさらなるツテを探る?師匠の学びを活かし独立する?

これがリアルです。まだまだ考えれる事は山ほどありますが、イメージのリアルとは自分の向かう道に向かってどれだけ今の現実に対して糸を引けるかその糸をどれだけ現実に近ずけれるか。いわば目標とは理想であり今は現実です。ここには見えない境が存在していてその境を見える様にするのがイメージのリアル化です。

宝くじで1億当たってもフェラーリに乗る自分は手に入りません。免許取って、保険入って、フェラーリを買うから乗れるんです。

このリアルのイメージというのは過去の経験で培われます。

小さなことからの積み重ねなのでそれはなんでもいいです。

例えばあなたが文化祭の実行委員になって模擬店の総括を任されたとして、当日はなん滞りもなく成功した。トラブルがあったとしても問題なく解決できた。それとも大問題に発展してあなたが責任を負う事でそれは済んだ。

これは全てあなたにとっては成功した経験です。責任を負う事が成功?そうです。当日的には失敗ですが、しっかりと役目を果たし、自分が犠牲になる事で問題は解決に導かれた。それは模擬店の総括であるその人の仕事であり役目であり使命だからです。成功した経験はあなたの解釈でいいのです。総括としての役目を全うしたというのは結果がどんな形であれ経験としては立派に成功しています。

世の中たくさんの人が生きている中でこれは小さな人間の小さなひとつの行動かもしれませんが、それはその人にとっては大切な人生のひとかけらです。この経験はそれからの人生で背中を押してくれる糧となります。自分にとっては何か大きな行動をなそうとしている時、その経験を思い出す事で「自分ならいける。」こう考える事で自信を持って次の行動に移す事が出来るのです。

本当に何でもいいのです。仮に失敗しかないなら、その失敗までしっかりと物事を進めてきた自分がいます。そして次の行動も同じ様に成功か失敗か判断出来るまで行動すればいいのです。

誰しも目標に向かって成功するイメージを描きます。しかし大切なのはその成功に向かって具体的にどのように行動するかということで、これがリアルなイメージです。そしてこれは過去の自分がとある目標に向かって行動を成した事がそのまま経験として活かされます。これが自信になるのです。そんな経験はきっと誰しもあるはずです。

やってみないとわからない。

少し自分の話をします。

僕は高校生のときは休みも遅刻もなく、皆勤賞を頂きました。

しかし、高3の冬に一度だけ寝坊をしました。

実家は田舎なので学校までの電車は1時間に2本程度。

このとき学校に間に合う最後の電車は時間ギリギリで、どんなに急いでも家から駅まで自転車で10分はかかります。目が覚めたときには電車が出るまで10分切っていました。

正直もういいやなんて思っていたら母に「やってみんとわからんで?」といわれ、皆勤賞もかかっていたのでダメもとで自転車を死ぬ気で駅まで漕ぎました。

すると電車が2分ほど遅れていて、しかも自転車で10分は絶対にかかると思っていたのに6分程で駅に着きました。

この小さな行動が自分の中で深く心に突き刺さりました。絶望的に無理だと思っていても何がどう巡って最後の答えになるかわからない。もし、自分が何かを成したいと思ったとき、それが無理としてもやるだけやろうと思う様になりました。

”やってみないとわからない”

これは僕にから一番伝えたい言葉です。

何をするにしてもやってみないとわからないし、一歩を踏み出す勇気を持つ事です。

親に反対されていようが、自分がやりたいと思った事ならばやってみるのです。

やらなければそれが出来るかどうかなんて誰にもわからないんです。

バットは振らないと当たらないし、宝くじは買わないと当たりません。

やりたくてやりたくてやりたくて…。

その気持ちがあるのにやらない理由はどこにもないです。

成功するかどうかわからないから人生楽しいのです。簡単に自分の欲しいものが手に入らないから達成したときの感覚がたまらないのです。

それを味わう事が出来る可能性を逆につぶしてしまうのはもったいないです。

まとめ

努力はするしないじゃなくて、他人が決める事だから自分は考えなくてもいいです。

たとえ自分が必死こいて努力しているのに他の人から見れば「お前は努力が足りん。」なんて言われたら嫌ですよね。

ですがもしそんなことを考えているなら、その時点で努力というものを自分の評価としての道具にしか使っていないのであまり意味がないです。

ですので”努力ができない”のならばやめればいいです。それでもやめることができないのなら、その行動を強制しなければいけないのなら、自分がその行動について納得のいく理由を見つけなければ続かないでしょう。

ですが、逆にそれがなんなのか理解できたとき”夢中”になれるはずです。

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